「富士ニュース」平成21年8月31日(火)掲載

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Meiso Jouki

 残暑に響く蝉の声にも、夏の終わりが感じられる候となりました。
 緑豊かな妙善寺でひと夏を過ごしていると、ときに珍しい生き物に出会うことがあります。今年は、ナナフシの優雅な姿や、緑の金属光沢が美しい玉虫を境内で見かけ、ちょっと得した気持ちになりました。それに加えて初夏にはサプライズな出会いもありました。

 寺務所でパソコンに向かっていると、窓の外でカサッというかすかな音。(なんだろう? 落ち葉かな)と、さほど気にもとめず横目で外の気配を察すると…。簾越しの窓の下に、なにやら「大きな茶色とオレンジ色」。(ん?こんな所に何か置いたかな?)と思う間に、それは動き出しました。驚いてまじまじと見ると、二つの目がこっちを向いています。鹿です。鹿が境内にまぎれ込み、すぐ目の前に現れたのです。私との距離わずか二b。そっと近くのドアを開けてみると「鹿の子まだら」も美しい、すらっとした鹿の後ろ姿がありました。

こんなすてきな出会いもありましたが、夏の生き物との出会いの大半は、生きる厳しさを突きつけられるような現実の連続です。
 照り返すコンクリートの上に迷い込んで行き場を失い、カラカラに干からびてしまったミミズを見るたびに(あぁ…土のそばにいればいいのに、なんでまたこんなところに出てきて…)とぼやきつつ、草の上に葬って短いお経をあげた数は、数十回。
 本堂前の石段で仰向けに足をたたんで動かないクマゼミをつまみ、草むらにそっと移そうとしたら、その途中でいきなり羽ばたき始め、力強く飛んでいったのには驚きました。(こんなにすごい力がまだ残っていたんだ、もう少し生きてごらんよ)と、あ然としながら声援を送ったことも。(この自然の中で己のなすべきことをなして、日々懸命に生きているのは、人間だけではないんだなぁ)という思いはひとしおです。

 本堂に迷い込んだ大きなスズメバチを窓から逃がしたことが、この夏三回ありました。本当は近づきたくありませんでしたが、ハチとはいえ「本堂への参拝者」です。ひどい仕打ちはいささか憚られます。外に逃がしたら草刈りの途中でこのハチに刺されるかもしれないと思いつつも、(えいっ! ここでひとつ善行を積んでおこう。『蜘蛛の糸』のように、いつか救いのチャンスの縁になるかもしれない)と、強引に自分を納得させて逃がし続けました。
 でも、そんな仏心がいつも私の「主人公」になっているわけではありません。家の中にしつこく侵入してくる蟻、蚊、ムカデを放っておくわけにはいかず、(ごめん!)と心で詫びながら、一体いくつの命を奪ったことか。
(今年も、たくさんの生き物を殺してしまったなぁ、お坊さんなのに)…そんな懺悔の思いと、命を奪ってしまった生き物たちへの成仏への願いが自ずと沸いてきて、朝の勤行の折にも、また境内の石仏に手を合わせる折々にも、いつも以上に心のこもる夏の終わりです。

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明窓浄机

夏の終わり

文・絵 長島宗深