「富士ニュース」平成21年10月27日(火)掲載

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Meiso Jouki

 「お母さんですか? 今、富士川橋を通ったら、富士山が見えたから、JR富士駅で降りちゃいました。でもここはビルばっかりで、何にも見えません。あと三十分くらいしか時間はないんだけど、どこに行ったら富士山が見えますか?」

 東北に暮らす息子の友達から家内にかかってきた電話です。とてもせっぱ詰まった様子だったそうです。
 実はその数日前、彼は一度わが家を訪れていました。富士山をひと目見たいと思い立った彼は、夏休みを利用して、単身「青春18きっぷ」片手に、はるばる仙台からやってきたのでした。しかし、何しろ富士山が見える確率がとても低い夏の日のこと。残念ながらその姿を見ることはできませんでした。家内はせめてもの来訪の記念にと、全国的にも有名になった富士宮焼きそばをごちそうし、「これから大阪まで行ってみる」という彼を見送ったのでした。
 その数日後の突然の電話。仙台に帰る途中の鉄橋の上で目に飛び込んできた富士山によほど感動したのでしょう。その先の予定時間が迫っているというのに、たまらず富士駅で下車してしまったのです。
 機転を利かせた家内が即座に対応して案内したそうです。富士山と茶畑をバックに、はにかむ彼の写真が、いま手元にあります。

 実は、ここ数年に何度か、他県から富士山を見に来られた方をご案内したのですが、なぜかみな夏場でしたので、願いはかないませんでした。落胆される様子に接するたびに、富士に来たからには富士山をひと目仰ぎ見たいという願いの切実さを思うばかりでした。
 秋…。
 空気が澄んできて、美しい富士山が、尚いっそう美しく眺められる季節になりました。市内それぞれの場所で異なった表情を見せるその姿に出会うたびに、この地に暮らす幸せを思います。
 前回の明窓浄机に「タダの恵み」の話を書いたところ、ある読者の方から「…富士市に住む私たちは、勇壮な富士山を見て、何度癒され、励まされ、勇気づけられたことでしょうか。しかもタダで」という丁寧なお便りをいただきました。その通りだと思いました。
 龍澤寺の中川宋淵老師という方は、よくお弟子さんと一緒に「山」をご覧になったそうです。
「山を見ませんか?」と弟子に告げて山に向き合うと、立ったまま、そのままずっと、ただ黙って、じっと、何十分も山と向き合われたそうです。
 「天地と我と同根、万物と我と一体」(『碧巌録』)と禅語にあるとおり、禅では、相手と「一つになる」という実践体験を大切にします。相手が物であれ人であれ、一つになる。花を見れば花となり、山を見れば山となる…清らかな澄んだ心で向き合えば、見るものがそのまま自分自身になる、といったらいいでしょうか。
 せっかくこの雄大な富士山といつでも向き合える環境に住む私たちです。じっくりと向き合って、どっしり大きな富士山の心を我が物としたいものです。

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明窓浄机

富士山見えますか?

文・絵 長島宗深