小栗判官
室町時代の中頃、常陸の国(茨城県)真壁郡小栗の庄に、小栗判官満重という城主がいました。
 この城主は、乗馬のままで碁盤の上に馬の四つ足をそろえて人々を驚かせるほどの馬術の名人であり、また戦場に臨んでは武勇の将として勇名を馳せていました。しかし、時の鎌倉管領足利持氏の圧迫を受けて落城、わずかの主従で東海道を西に逃れたのです。

 大膳の陰謀
 その夜、酒宴に事寄せての毒殺の企みを途中で察し、かろうじて一命を取り留めた判官は、照手姫を連れ鬼鹿毛を従えて、更に苦難の道を西にとり、やがてこの富士南麓・滝川観音妙善寺に至りました。時の大空禅師はこの一行を手厚く看護しました。

 そのかいあって回復した判官は、照手姫を禅師に託して三河に住む兄の元にのがれ、さらに丹波の母方の在所を頼りそこに鬼鹿毛を預けたまま、紀州熊野に向かったのですが…。
 そのような事情も知らない鬼鹿毛は、主人の後を慕い、そのありかを探しめぐったあげく、妙善寺境内に至りお堂を三回巡った後、三度悲しげないななきを残したまま、ついに力尽き息絶えたのです。


 鬼鹿毛の最期 これを哀れんだ大空禅師は、鬼鹿毛を観音堂下に手厚く葬り、ねんごろに供養したといわれます。いまから六百年ほど前の、美しくも哀れな名馬の伝えです。 

おにかげと てるてひめの ものがたり

名馬鬼鹿毛と照手姫伝説
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